2014年4月13日日曜日

小さなしあわせ


 とりあえず、小さなオブジェがすきなのだ。よく行くアンティークショップや旅先で、気になるものを見つけると、必ず買ってしまう。それは例えば、アンティークのボタンだったりピンバッヂだったり。あまり見ないタイプのものなら、迷うことはまずない。「今買わないともう一生出会えないから…」と頭の中で自分への言い訳を唱えながら、それを手にしたまま他にも何かないかと物色する。「何に使うの?」と訊ねられても、それが欲しいから買うのだ。それ以外に何があるというのだろう。物欲に合理性など、誰も求めない。
 「レディメイド(既製品)」というアート理論を提唱したマルセル・デュシャンは云った。『この世のすべては選択でできている。』と。これとそれ、どちらを選ぶか。或いは、どちらも選ばないか。人生とは、その積み重ねでできている。
 若い頃には失敗もたくさんした。『これこそが自分の人生だ!』と、選択に自信が持てるようになったのはせいぜいここ10年ほどの話である。失敗しないと判らないことも、確実にあった。この頃は、そんなこともたびたび思い出してしまう。
 古いものがすきなぼくの部屋には、小さな抽斗がいくつもついたやはり古い木の物入れがある。そこには、そうやって手に入れた小さなオブジェばかりをしまってある。たまに取り出しては、にやにやとひとしきり眺める。しばらくご満悦の気分を味わったら、またしまう。そう、それはまるで子どもが集めたがらくたをおもちゃ箱にしまうみたいな感覚。カラスが、きらきら光るものを巣に持ち帰ってしまう感覚。犬が、大すきな骨を庭に埋めてしまう感覚。そんな気持ちを保ち続けるために、やはりまたお気に入りを増やすのだ。ひとつひとつ、厳選して。
 そんな人生は、案外悪くない。大きくて抱えきれないしあわせよりも、小さく掌に包めるくらいのしあわせ。何度でも噛みしめられる、そんなしあわせをいくつも集めて、何度でもにやにやしていたい。

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